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Scene01
(SE 走る飯田線車内の音)
ナレーション(私 )電車は、のどかな信濃路を走っている。今はまだ四月だが、左手の線路のすぐ側を流れる天竜川の水面は、すっかり初夏の風情に輝いている。夫は、車窓を細い目で眺めながら微笑んでいた。その姿に、まだお礼を言ってなかったことに気づき、私は聴いていた音楽のイヤフォンを外した。
私「のぶさん、ごめんせぇよぅ。急に飯田へ行きたいなんていうて。ほんまに、一緒に来てくれて、ありがとござんす。」
のぶ「いやあ、さちこが思いついて言った言葉はこれまで、数々の奇跡を産んどるけんねえ。今回も何かあるんじゃないかと楽しみでの(笑)。」
私「ま!のぶさん、いつもそういうけど、奇跡なんてそうそうないけんね!あんまり期待せんとって」
ナレーション(私 ) 飯田は、私の故郷だ。これまで、夏にはよく、夫と二人で帰省していたが、この数年は夫が経営する塾の仕事が忙しかったり、私の体調がすぐれなかったりと、タイミングを逃して足が遠のいていた。
私「奇跡といえば、この歌が奇跡やわ・・」
ナレーション(私 ) そう言って私は、聞こえる方の耳に、イヤフォンをかけなおした。
のぶ (心の声) 野田さんには感謝しかない。さちこの心の傷を、たった一曲で癒してくれた。そもそも、歌詞を書いて欲しいと言ってくださった時点で、何かが変わる気がしていた。泣きながら書いた一人娘への想いが、温かいメロディになって帰ってきた時、モノクロだった娘の思い出が、一瞬でカラーになったのだ。
私「あ、天竜川」
ナレーション(私 )電車は、新しくなった天竜峡大橋をながめながら天竜川を超えた。
飯田はもうすぐだ。今回は、帰省といっても、実家には寄らず、飯田から少し足を伸ばして阿智(あち)村に滞在する予定でいる。日本一の星空を見るためだ。
私「ねえのぶさん。それにしても野田さんて、不思議な人じゃねえ。作曲家ぁーでもあったんやね。びっくりしたがよ。」
のぶ「ああ、彼は曲もつくるし、歌も歌う、絵を書いたりもしてるらしい。今は友人と起業した映像会社の役員さんじゃと。」
私「ふ~~ん。しかし?その正体はっ?」
のぶ(クックッと小さく笑う)
私(つられて一緒に笑う)笑い声
ナレーション(私 )私たち夫婦は、30年前に、まだ幼かった娘を亡くしている。それ以来ずっと二人で生きて来た。そそっかしくて無鉄砲な私と、常に冷静で思慮深く穏やかな夫。まあいいコンビだと思う。この人のおかげで、生きてこられた。
さて、話題に出てくる作曲家の野田さんは、そんな夫の友人だ。どこでどう出会ったのかは詳しくは知らない。住んでいるところも不特定で、いつも日本中を駆け回っているらしい。野田さんの性格は温厚。全く高圧的な人ではなく、夫とはまた違ったタイプの穏やかで落ち着いた雰囲気をもった人だ。私も一度だけ会ったことがあるが、痩せ型の夫とは対照的に、ふくよかで白髪混じりの顎髭姿。ほわ~~っとした雰囲気なのに、どこかの大富豪か教授か作家か、品の漂う印象深い人だった。
私「ねえねえ覚えてる?あの時。野田さんと初めて会った時、私の右目の中にある傷を見て褒めてくれたじゃろ。「なんて綺麗な宇宙を持ってるんですか!」と。あんな人はじめてや。みんなこの目は、見て見ぬ振りか、びっくりして話題にも出さん。でな、私が帽子をまぶかに、、、、」
(おしゃべりが止まらないさちこの声が続くが、ナレーションを被せフェードアウト)
ナレーション(私 )久々の夫婦旅であったことと、自分が作詞した曲が出来上がった喜びとで、私は気持ちもたかぶり、いつも以上におしゃべりになっていた。夫は静かに、そんな私の弾丸トークを目を細めて、ときおり頷きながら聞いてくれている。そうこうしている間に、電車は飯田駅に到着した。
(SE 電車のブレーキ音 電車アナウンス)
(SE 駅構内の雑踏音)
私「うわ~やっぱり飯田はまだちょっと寒いなあ~。ダウン持って来てよかった。ね。のぶさんは肉襦袢がないけんね」
のぶ「はは。夜はもっと冷えるじゃろうなぁ。覚悟しておかんとな。ふうう」(おおげさにふるえながら)
(タクシーのドアが開く)
タクシー「はいどうぞ~。どこまで行きましょか?」
私「阿智(あち)村までお願いします。宿の住所は、、、ちょっとまって、今調べるから、とりあえず阿智方面へお願いします。」
(ドアが閉まる)
タクシー「はい。かしこまりました。」
のぶ「そういやこれまでも飯田には何度も帰ってきてたけど、阿智村行こうなんて言い出したこと、なかったのう。ま、僕は昼神温泉にありつけてラッキーじゃけんど。」
私「ふふ。そういうと思って、ちゃんと露天風呂つきのペンションにしとうけんね。」
のぶ「おおー、ありがてえのう。雪の残る木曽山脈を眺めながらの露天風呂かあ。うん。楽しみじゃー。」
ナレーション(私 )二人で旅行するときは、できるだけペンションやユースホステルを利用する。そういう宿には大抵コミュ二ケーションルームのようなものがあって、宿の人や、宿泊客と雑談できたりする。私はその時間が大好きなのだ。見知らぬ人たちとの未知の会話。ワクワクする。不謹慎だが、人には人それぞれの人生と物語があって、それを知ることや観察することが大好きなのだ。夫はそんな私に半ば呆れながらも付き合ってくれる。とはいっても、もともと口数の少ない夫は、大抵会話の聞き役と、記録係。とてつもなく記憶力がいいのだ。会話に入ってこないから聞いてないかと思いきや、私が聞き流しちゃっている情報までしっかりと覚えている。ムスッと嫌々付き合っているようでいて、実は相当な井戸端会議好きに違いない。タクシーの中も途切れることのなかった私のおしゃべりも、見えてきたペンションを自分の目で確認して、声を失った。
私「のぶさん。。。素敵!」
▼作者・古川祥子(さっちゃん)の日記ブログ▼