また会えたときに

これは、我がオットの遺した手記による、実話に基づいた物語です。

【後書き】7 30年前の人形劇ノーカット版

また会えたときに、の私の奇跡のくだりで出てくる、青年の人形劇。この部分は、尺の関係上、大きくカットせざるを得なかった。あれは抜粋して脚本にしたのだ。

実は当時の人形劇の内容をその後私が盗み、ほぼ同じ内容で15年ほど病院や公民館などで上演してきたこともあり、その内容の面白さと斬新さと温かみを皆様にお裾分けしたいと思い、

とても長いのですが、ここに掲載することにしました。

私の記憶を余すところなく書いているので、もしかすると読みづらいかもしれません。もし、途中で投げ出したくなったら、コーヒーやお茶を飲みながら、休憩して最後までお読みいただけたら嬉しいです♪

人形劇を一人でやる技と、素敵なストーリー展開や、大人でも胸に響く内容、現場に居た私の感動が、少しでも皆様に伝わればいいなと思います。

これから芝居を志す少年少女達にも読んでいただきたいし、子育てに悩んでいるお母さんにも読んでいただきたい。


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階段の先にある境内の方から微かに声が聞こえる。ここでも人形劇をやっているのだろうか。

 

「今日だけの、飛び入り人形劇!大阪からバイクで旅する人形劇!楽しいよ!でもちょっと悲しいよ!」

 

え?ちょっと悲しいって?人形劇に、悲しさもくっつけるの?バッドエンド?ありえないなあ。私はその声の元へ急いだ。はっきり声を聞きたい。

 

「ちょっと悲しいけど、可愛いよ!小さいけど、元気だよ!」

 

声がだんだん近くなってくる。神社の境内と、周りの空間に美しく響き渡る声。

 

全身黒づくめの青年は大きく手を広げ、両手に人形を持ち、子どもたちと会話をしながら期待感を盛り上げている。

あ、私に気づいたみたい。人形が私に向かって喋ってくる。

 

「暑いから、日陰に入って見てくださいね〜!」

 

はっとする。人形に言われたのに、人間以上の温もりを感じてる。自分も人形に向かって「あ、ありがとう」なんて声も出しちゃって。

 

日陰に入って涼しい風を感じながら、子供たちやその親たちが用意されたシートに靴を脱いで座っていく。これから始まる人形劇に心躍らせて、親子が笑顔で見つめあっている。それを見ながら、微笑んでいる自分がいる。

 

私は一人、木陰で佇みながら、始まるまでの空気を楽しんだ。その空気がカラスの一声で笑いの空気に包まれた。

 

カアー!カカカカ カアー!カカカカ

 

とリズミカルな鳴き声だったのと、その声を青年がとっさに活かしたからだ。

 

「っと、カラスさんも言っていますのでそろそろ始めましょう!」

 

スタートの合図にしたおかげで、カラスの邪魔が、一瞬で邪魔にならなくなってしまった。子どもたちはカラスに向けて、一種の尊敬の念すら浮かべることになる。

 

大きな通る声は、神社の空気に溶け込み、竹林から聞こえる風の音に乗せて、私の中に静かに染み込んでいる。

 

良太 「あ〜あ。ヤンなっちゃうな〜」

 

この一言から始まる。これだけで子供が爆笑してる。

 

何にやんなっちゃうのかわからないけど、わかるよ〜と共感しているのだ。
子供たちの驚異の共感力を青年はわかっている。

 

良太 「どうしても食べなくちゃいけないのかなあ。」

 

子どもたちから声がかかる。

 

「食べなあかん!大きくなれんよ!」

 

良太 「ええ〜〜〜どうしても?」

 

人形と子どもたちが当たり前のように会話してる!?人形劇ってこんな感じだったかしら?私が見てきた人形劇は全て、一方的な物語。昔ながらの伝統的な手法であった。この人形劇は対話形式だ。

 

良太 「はあああ。」

 

「慣れる慣れる!」「大丈夫よ〜!」「頑張れ!」「最初はみんな嫌い!」

 

ここで良太はすかさず

 

良太「嫌いじゃないんよ。大好きなんだ!大好きすぎて、、、食べられない。」

 

子どもたちはシーン..となる。今までの喧騒が嘘のようだ。混乱している。

 

良太 「あ、来た。。おはよう、大根くん」

 

大根 「おお〜!良太くん。。。ん?どうしたんだい?浮かない顔をして」

 

良太 「う、うん。」

 

大根を、親に食べなさいと言われているけど、食べられない。それは嫌いなんじゃなくて、大根さんのことが大好きすぎて食べられないという葛藤が現れている俯き加減と、生返事。上手い。

 

大根 「何か辛いことでもあったのかい?」

 

良太 「いいんだ。大丈夫。さ、遊ぼう!あれ?今日はにんじんさんは?」

 

大根  「あ、にんじんさんは、今日はカレーの日だからね。今は鍋のなか。」

 

良太  「え!そ、そうか。。(寂しそうな表情)じゃあゴボウさんは?」

 

大根  「ゴボウくんはお寝坊さんだからまだ起きてないと思うよ」

 

ごぼう  「ひどいなあ。もう起きてるよ〜」

 

え?ここでゴボウが出てくるの?青年の手は二本しかない。のんびりした声のゴボウのセリフの後、良太と大根の間ににょきりと出てきた。

 

良太  「うわ!びっくりしたなあもう!突然出てきて!」

 

大根  「ぬっはっは!ゴボウくんらしいぞ!ぬっはっは!」

 

ゴボウ  「ハハハッハハア〜〜!大成功〜!」

 

どうやって動かしているの?もう一人いるの?不思議な三人のやりとりと、一人で3体の人形を扱う技を持つこの青年に、私の心は鷲掴みにされた。ゆらゆら揺れながら、か細い声でしゃべるゴボウと、大きな体を上下させてしゃべる大根と、可愛い仕草で子供らしい表現をする良太。それぞれが、それぞれ違う性格で、それぞれ違う声で演じ分けられている。

 

物語はやがて、カレーの具材になったにんじんさんの話に移っていた。

 

大根  「だから良太くん。僕もゴボウくんも、食べてもらえるから嬉しいんだよ。」

 

良太  「うん。。。」

 

ゴボウ  「にんじんちゃんも、喜んでると思うよ〜!」

 

良太  「ほんとに?」

 

にんじん  「ほんとよ〜!」

 

ええっ!?ここでにんじんを出すの?3体でも難しいだろうに、4体目は一体、、、と思っているうちに登場したにんじんちゃん。

 

頭に、死者が付ける白い三角の天冠(てんかん)をつけて、中空を舞っている。幽霊か!

 

良太  「あ!ニンジンちゃん!」

 

大根  「おお〜!いい顔になったな!」

 

ゴボウ  「今度もまたニンジンに生まれ変わるのかい?」

 

ニンジン  「もちろんよ〜何回でもニンジンに生まれ変わるわよ〜!ね。良太くん。聞いて」

 

良太  涙を拭いて「なあに?」

 

ニンジン  「私はね。こうして人間に食べられて天国に行ったけど、死んだんじゃないの。カレーライスの大好きな人間が、私を美味しそうに食べてくれて、その栄養が人間の体に吸収されて、その人間が健康になって、またにんじんを育ててくれて、そのにんじんをまた誰かが買ってくれて、そして、また美味しい美味しいと食べてくれるの。」

 

良太  「でも。。。」

 

ニンジン 「でも、、なに?」

 

良太  「でも、人間に噛まれたら痛くない?」

 

そこでニンジン、大根、ゴボウの3体がズルッとずっこけたのだ。ずっこけた瞬間、子どもたちが大笑い。溜まっていたエネルギーを爆発させるかのように皆笑った。

 

大根  「良太。そんなことで悩んでいたのか!ぬっはっは!」

 

ゴボウ 「そうかそうか。痛いと思っていたのか。ハハハ!」

 

ニンジン 「優しい子。。私たち野菜は、噛まれると、それぞれが違った音を出せるの。それは、音楽なのよ。人間が私たちを噛むと、音が鳴って、それは私たちにとっての、感謝の音楽になるの。音楽の後は、人間が動くことができるようになるためのエネルギーに変わっていく。神秘的で素晴らしい時間が、食べる時間なのよ」

 

良太  「音楽。素晴らしい時間」

 

〜歌〜

大根  そうさ〜!「やさいっ 俺たちやさいは 音楽だ」

ゴボウ 「やさい〜 僕たちやさいは エネルギー」

ニンジン 「やさい 私たちの願いは みんなの笑顔と健康」ほら良太も歌って

良太  「野菜♪ うん食べるよ 音を鳴らして シャキ! ポリン! ザク!」

大根  「シャキ!」

ニンジン 「ポリン!」

ゴボウ  「ザク〜!」

大根  「シャキ!」

ニンジン 「ポリン!」

ゴボウ  「ザク〜!」

 

歌に伴奏がないのに、子どもたちには伴奏が聞こえているかのように、体を揺らして口ずさみ始めた。それを見計ったかのように

 

大根  「さあみんなも一緒に歌おう!」

 

全員で シャキっポリンっザク〜!シャキっポリンっザク〜!シャキっポリンっザク〜!シャキっポリンっザク〜!シャキっポリンっザク〜!シャキっポリンっザク〜!

 

良太  「わかった。」

 

突然合唱が止む。子どもたちも一気に静まる。良太の言葉を待つ。

 

良太  舞台中央に躍り出て「わかったよみんな。ありがとう。」

 

観客である子どもたちに向けてお礼を言う良太。子どもたちは、誇らしげな姿勢になる。

 

良太  「僕、今日から野菜を食べられる。みんなの歌声を胸に、今日から野菜と一緒に音楽を奏でるんだ。そしてそれをエネルギーにする!!元気を出して生きるんだ!もううつむいたりなんかしない!」

 

背中がジワーっと熱くなった。その良太の絶叫が、神社の結界を破り、セミの鳴き声が消え、飯田の街にその決意が浸透したかのようだった。最後に良太はもう一度言った。

 

良太  「みんな一緒に歌ってくれて、本当にありがとう!!!」

 

そう言って、大きくうなずく大根を抱きしめ、ゆらゆら揺れるゴボウを抱きしめ、空飛ぶニンジンちゃんに手を振り、舞台後方に消えていった。野菜も静かに舞台から去っていく。静かにゆっくりと。余韻を楽しませるように、ゆっくりと。

 

BGMもなし、舞台背景もなし、一人で一挙4体の人形を操ってのお芝居は、今まで観た中で一番驚いた。楽しかった。心から感動した。

 

青年  「みんな〜ありがとう〜!最後まで観てくれたね〜!あー嬉しい!」

 

青年は本当に嬉しそうに、舞台袖から子どもたちの前に出て挨拶を始めた。次は1時間後にまたここでやるよ〜!お友達を連れて見にきてね〜!と宣伝活動も余念がない。

 

野菜が嫌いな子どもたちも、これで野菜を食べられるようになるかもしれない。

 

と思った瞬間に気がついた。

 

違う。

良太は、野菜が嫌いだとは言っていない。噛むと痛いだろうから食べられなかった。味どうこうの問題ではない。

しかし、野菜ぎらいの子供と同じく、野菜を食べられない。食べたくないのだ。

 

新しい伝え方だ!野菜が苦手な子どもの言い訳を逆手に取ったストーリー展開。食べられない結論は同じで、食べられるようになる手段を音楽とエネルギーで納得させている。

 

なんなんだこの人形劇は。

 

昔から伝わる昔話や古典芸能もいいが、こうした創作オリジナルも面白い。もう一度観てみたい。他の人形劇は明日にして、この青年の人形劇を今日は堪能しよう。

 

 

そう決めて、1時間後、また同じ場所に訪れた。

 

人形劇は、1回目の演目とは全く違う内容だった。

 

良太は美味しく野菜を食べる少年となっており、今度は大根が悩む番だった。その悩みとは、大根の皮を捨ててしまう人が多いという事実。

皮剥き機がもてはやされて、美しく剥けてしまう大根の皮。勿体無い。その皮をみんなならどうやって活用するか。を、観客と一緒に考えていく。

途中参加のゴボウがまたいい味を出してくれる。僕なんか、皮を剥いたら実がなくなっちゃう。寒い寒い。とぶるぶる震えて笑いを誘った。

最終的な結論は、大根の皮を甘辛くきんぴらにして、ニンジンとゴボウと一緒に並べて3色きんぴらとして飯田の名産品にしよう!と盛り上がった。

 

私はアリだと思った。

 

3回目の公演も、内容が違った。幽霊になった大根とゴボウとニンジンが、良太の成長を喜び合うというもの。親目線からの愛情深いストーリーが胸を打った。

 

4回目は良太と観客との会話劇だった。他の誰も登場しない。それでいて飽きないのは、慣れてきた観客の心の触れ合いを喜び、即興で会話していく楽しさをしっかり植え付けたからこそできる芸だった。ほぼリピートして来ている観客は、すでに、良太が何を言っても笑う。

 

最終5回目は、最初の観客の人数の倍は集まっていた。青年は、緊張しているのか疲れているのか、少し表情が固い。何度か私と目が合った気がした。私の包帯を気にしているのかもしれない。仰々しい包帯姿の女が一人、同じ場所で最初の公演から連続で見続けていることにはおそらく違和感しかないだろう。

 

カラスが鳴いた。

 

突如人形劇は始まった。青年は、顔を出したままだ。今までは黒子をしていたので、青年の表情はわからなかった。今回は表情が見える。そして、良太の手に棒がつけられていた。

 

棒使い人形。良太の顔は青年の右手でぱくぱくと口が動く。人形の両手についた棒を、左手で操作して、肩を支点にして自由自在に動く。まるで生きているかのように。

 

そして、舞台に隠れることなく、観客の前で、腹話術で良太と会話を始めた。

 

青年 「良太くん。」

 

良太 「何?」

 

青年 「良太くんはこの飯田に来てよかった?」

 

良太 「よかった〜!!!!」

 

青年 「うん。そんな顔してるね!何がよかったの?」

 

良太 「一番良かったのはね、野菜が食べられるようになったこと。」

 

青年 「ほんとだね!それから?」

 

良太 「それから、ここにいるみんなに会えたこと!一番嬉しかった!」

 

青年 「みんなに会えたね〜!これも一番なんだね?」

 

良太 「うん!一番!」

 

青年 「わかったよ〜他には?」

 

良太 「他には、この飯田の空気の美味しいこと美味しいこと!これも一番!」

 

青年 「うわあ!これも一番!すごいね!他には?」

 

と、続く。だんだん観客も参加し始める。みんなの一番を発表し始める。それを良太が感動し、青年が褒める。その繰り返しだ。テンポが良くて面白い。不意に私に質問が来た。

 

良太 「お姉さん。お顔、痛かったでしょう。早く治るといいね!」

 

え?私のこと?あ、う、、、、。どう返せばいいか、咄嗟のことで出てこなかった。そこを汲んだ青年がこう言った。

 

青年 「良太くん。お顔も痛かったのかもしれないけど、もっと痛かったのはきっと心なんだよ。」

 

良太 「心?」

 

青年 「そう。心。怪我するときには痛いのは体なんだけど、そうなってしまった自分のことをバカだな〜、あの時飛び出さなければこうはならなかったのに!とか、あの時もっと周りをみていればこんな怪我なんかしなくて済んだのに。お医者様にも、家族にも辛い想いをさせて、私のバカばかばかって思っちゃうんだ。」

 

良太 「へえ〜。人間って大変だね。」

 

青年 「おいおい。君も人間だろ?」

 

良太 「僕人形〜〜〜」

 

笑いが生まれる。でも私は笑えない。

 

心が痛い。心が痛い。そう。心が痛い。ずっと痛かった。私が娘を殺した気がしてならなかったのだ。

しなやかな筋肉をつけて欲しくて、スイミングを勧めたのは私。頑張ったらアイスクリームを買っていいよとお小遣いを渡したのは私。もう一人で行って帰って来れるでしょ?と言って突き放したのも私。

 

私が娘を死に追いやった。

 

青年 「違う!」

 

え?

 

青年 「良太くんは人形の形をしているけど、人間なんだよ。君は、今朝大発見をしたんだよね。野菜を食べることができなかったのは、噛むと野菜が痛がるんじゃないかと思って噛むことができなかったんでしょ。野菜のみんなは、それは違うよと教えてくれた。音楽になって、エネルギーに変わると。」

 

良太 「う、うん。そう・・・だよ」

 

観客は水を打ったようにシーンとして耳を傾けている。子どもたちにとっては難しい言葉なのに、真一文字に結んだ口元や、眉間に寄せたシワを見ると、懸命に理解しようと努力しているのがわかる。

 

青年 「つまり、人間は思い込んで間違ってしまうものなんだ。」

 

良太 「思い込んで間違う?」

 

青年 「みんなもあるんじゃないかなあ。例えば、朝空を見上げたら黒い雲が山の方からゆっくり向かってくる。それを見てこの後どうなるか。みんなはどう思う?」

 

子どもたち 「雨が降る!雷が鳴る!雪が降る!」

 

青年 「さすが!そう。雨が降るかもしれない、雷がなるかもしれない、雪が降るかもしれない!でも、降らずに昼までには晴れてしまった。としたら?」

 

良太 「間違い〜!!ブッブー!」

 

青年 「ブッブーは余計や笑」

 

良太 「ごめんなさい〜!そういえば、僕はそんな間違いばっかりや!」

 

青年 「それでいい!間違えばいい!思い込んで考えすぎて、やってみたら全然違うことになったっていい!雨が降ると思い込んで傘を持っていったとしても、恥ずかしいことではないんだ。思い込んだおかげで、普段あまり使わない傘と一緒に登下校の時間を過ごせたことになる。そして気付いたりするんだ。その傘のことが大好きだってこと。」

 

良太 「あ。そうか。思い込んで間違えたとしても、間違えたことを反省したり、懸命にやったことを自分で褒めてあげたりできるってことや。」

 

青年 「そうだよ。ダメダメだった自分でもいい。それでも、生きてる。生きているだけでいい。それだけで、周りの人たちが嬉しい。」

 

良太 「でも間違えたら周りの人に迷惑かけることにならん?」

 

青年 「迷惑はかけてもいいの。わざと間違えたり、相手を傷つけたり、暴力を振るったりして迷惑かけるのではなく、自分が信じてやったことや、思い込んで頑張ったことや、考えて動いたことで間違えたことは、謝ればいい。ごめんなさい。と言えばいいの。」

 

良太 「あ。。。」

 

青年 「良太らしく、ありのまま、正直で嘘のない、いつも本気で生きている君が僕は好きだ。どんなに間違えたっていい。君は君らしく生きろ!」

 

良太 「わかった。僕は僕らしく!」

 

その瞬間、私の中で何かが弾けた。観客の皆さんも同じだったみたいで、青年と良太のやりとりの中にある、人間への深い愛情と、どうせ思い込むなら自分が幸せになる方へ思い込んでいこう!という全肯定の言葉のシャワーを浴びまくることができる、静かな静かな一才笑いの起きない、ジンジンくる感動の人形劇がそこにはあった。


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と、これが全容になります。

人形劇というのは、子どもが見るものだという概念を完全に崩されます。

もし、皆様が今後、野田さんの人形劇を観る機会があったら、その感動を体感していただきたいと思います。

人形が、生きてます。

なぜ生きているように見えるのか、それは野田さんが、「人形は生きている」と信じているからです。

信じている人の気持ちに、人も人形も物も動物も、ちゃんと応えてくれるものだと知っているからできるんだと思います。

野田さんの人形劇のスタイルは、即興が多いと聞いています。その場の雰囲気で、ストーリーもどんどん変えていくというもの。ある程度のあらましがあって、そこにお客様の反応をみながら、セリフを加えていき、その反応によっては、内容すらも変えてしまう。

それができるのも、人形への深い信頼があってこそだと思うのです。

人間も同じかもしれない。

 

相手への信頼があってこそ、人間は伸び伸び動けるし、頑張れる。自分の気持ちを預けられるから、余裕ができる。どんな言葉が来てもそれを受け止め、受け入れ、許すことができる。

 

信頼あればこそ。じゃな

 

【後書き】8  ラジオドラマにするための苦悩 へ続く