また会えたときに

これは、我がオットの遺した手記による、実話に基づいた物語です。

【後書き】1 奇跡は誰にでも起こせるってこと

奇跡という言葉は、私にとっては「嘘」だった。

娘が生き返ることこそが奇跡であって、それは永遠にあり得ない。ありえないことが起きてこそ奇跡だから、奇跡はこの世に存在しない。

とまで思っていた。

しかし、野田さんの出現によって、私は生きていていいのだと思えたし、娘の存在を今は強く感じることができる奇跡を味わっているし、昨年他界したのぶさんの魂も、すぐそばにいてくれている感覚がある。

さらに言えば、このまた会えたときにラジオドラマ企画を始めてから数々の奇跡が起きてきた。

まず、私の体調。実際には種々の数値は変わっていない。出来物も消えていはいない。ではなぜ動ける?なぜ希望を失わない?なぜ書くテンションが下がらない?

いっちゃん(掃除屋いつこさん)に言われた「あんた、長生きするで」の言霊(昨日も言われた)もあるだろう、そして記事を書き続けるミッションに燃えてる(遺すことが仕事)のもあるはず、それから私の記事を読み続けてくださる皆さんの存在(これが一番大きい)を感じているのもあり、側に居て、この痛みや哀しみを受け止めてくれる人々(感謝しかない)がいてくれて、私はまだ生きている。

最愛の娘を喪うという、人生で一番経験したくないことを経験し、神様なんていない!と儚んでいた私だが、今は違う。もちろん悔しいし、悲しい。

でも、私が経験したことをここで綴ることで、もしかすると同じように苦しんでいる人の気持ちの、小さな支えになるかもしれないと思えたのだ。

劇中の青年、野田さんは、出会う人々に優しい思い出を残して去っていった。その思い出は、やがてその人が岐路に立つとき、ふと思い出されて力になる。その力は野田さんが起こした奇跡ではなく、当事者がその岐路で踏ん張り、自分を律し、鍛え、決断し、動いた結果で奇跡が生まれていった。

そう。

奇跡は、誰かが起こすように見えているけど、その誰かにきっかけをもらった自分が、自分のため(誰かのため)に動いて、自分で決めてやった結果、周りを巻き込んで自然に起きていくもの。

だと思う。

私がそうだから。

野田さんにきっかけをもらって、そこから自分に向き合わざるを得なくなり、逃げてきた感情と対峙して涙し、私の良さ、いいところを表現する、という恥ずかしさを克服したからこそ、今がある。

ゾンビさっちゃんの似顔絵。これをよく見るとわかる。私の右目はもう見えない。左目は腫れて開きづらい。口の中はずっと腫れて突っ張っているから口が張り詰めている。

でも、不思議。そのおかげでちょっと笑顔に見える。見開いた右目は、今までなるべく開かずにいたけど、今は堂々とぱっちり開けている。その目を野田さんに褒められた瞬間、開いていいんだ、人に見てもらっても大丈夫なんだ、私の宇宙は綺麗なんだから、見せてあげなきゃ!に発展し、このようにぱっちり開けているわけだ。

自分のダメな部分が、最高の部分に変わり、それを自分で認めて、そこを好きになれて、それを人に伝えることでさらにお気に入りになっていく。その変化が、周りを変えていくことがよくある。その実践を、今やっている最中。



こんな私が、奇跡を起こしてる。

こんな私でも、奇跡を起こせる。

こんな私だからこそ、奇跡を喜べる。

こんな私にとって、周りにいる人たちこそ奇跡。

こんな私は、こんな私でいい。



野田さんが言った人形劇中のセリフ。

「どんなに間違えたっていい。君は君らしく、いつも本気で生きろ」

どんなに間違えてもいい。私は私らしく。それがなかなかできなかったのに、今はできている奇跡。

きっかけをもらった私のお礼の仕方は、今度は私が誰かのきっかけになること。それでいい。

野田さんからのメール返信を読んで、確信した。それはまた次回ね♪



【後書き】お返しは、他の誰かに差し上げて に続く