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Scene02 また会えたときに
(野田さんへ送ってあったメールの朗読)
M私「メールの内容はこうだった。
野田さんへ
こんにちは、古川の妻です。主人がいつもお世話になっております。
完成した歌の音源、聞かせていただきました。何度も何度も聞いています。
主人とふたりで「ええ歌やね~。ええ歌や。」と、何度も言い合いながら♪
今回は、このような機会を与えていただいて、本当にありがとうございました。
主人から、
「あの野田さんが、ライブイベントで歌えるオリジナル曲を作りたいらしい。母親の気持ちを表現した歌詞を書いてくれる人を探しているそうなんだ。書いてみないか?」
と話を持ちかけられたとき、歌詞を書いた経験もない私にできるだろうか。と躊躇いたしました。しかし、なぜでしょう。私の中の何かが、くすぐられたのです。
野田さんにとっては、ご迷惑になるだけかもと思いましたが、採用いただかなくても、一度自分の中の、娘への思いを整理するためにも、歌詞を作ってみたいと思ったのです。
歌詞をつむぎだすのに、当時のことを思い出し、思い出しては涙し、その思いを詩にして涙し、そうやって繰り返すうちに、どんどん記憶が鮮明に蘇ってきました。30年も前のことですのに。
娘のことを少し書かせてください。
30年前の春、当時9歳だった娘は、大好きだったスイミングクラブの帰り道で、軽トラックに轢かれ、あっけなく私たち夫婦のもとからいなくなってしまいました。そう、あまりにも突然に。
娘が逝ってしまってからの一週間は、一日も早く、どうやって後を追おうかと、そればかりを考えていました。そしてある日、電車を見ていたら衝動的に飛び出していました。しかし、助かってしまったのです。
野田さんとお会いした時に、褒めてくださった私の右目の傷は、その時のものです。貴方様が「宇宙みたいで綺麗だ」と言ってくださった言葉は、いまでも私の宝物です。自分の大嫌いなこの傷を褒めてもらえるなんて、初めてのことで、とても嬉しかったのです。ありがとうございました。
死にきれなかった私は、主人に合わせる顔もなく、顔の包帯も、眼帯も取れないまま退院させてもらい、実家に逃げ込みました。そこでもまだ、どう死のうかを考え続けていました。
そんなおりローカルテレビで、飯田市で毎年夏に開催される、人形劇カーニバルのニュースが流れてきました。そのとき突然、どこかで娘の笑い声が聞こえた気がしたのです。風に乗って、開け放った窓から聞こえてきたのか、どこかでやってる人形劇の観客の声なのか。テレビを思わず消しました。
耳を澄ましても何も聞こえない。聞きたい。聞きたい。娘の声を聞きたい!転がるような高い声で笑う娘の笑い声。笑顔。私を嬉しそうに見つめる満足そうな顔が思い浮かんできました。
そうだ。人形劇を娘にも見せてあげよう。私が見て、それを天国で話して聞かせてあげれば良いんだ、だから観にいこう。
そう決めてすぐ外に出て、歩き、たどり着いた近所の神社で、溌剌と人形劇をしている青年に出会ったのです。それによって私は生気が甦り、主人のもとに帰る決心がつき、仕事に復帰することができたのです。
青年の人形劇は少し特殊でした。他にもたくさんある劇団の公演は、一つも見ず、その青年の人形劇だけを追っ掛けました。彼の5回の公演の演目は全て違っていて、しかし全て同じテーマでした。
「どんな自分でもいい。人に何を言われても私は私を生きる。」
そういう内容でした。
5回とも、劇の内容も詳細に覚えています。私はあの時のあの青年の人形劇を見ていなかったら、また死のうとしていたかもしれません。思えば、飯田でのあの公演が、私のルーツになっており、私の人生に大きく関わっていて、今回もまたこの歌詞の制作が私を救ってくれました。
あの人形劇の青年に、人形には命があるということを教えてもらい、私は私を許せばいい、私のままでいいと伝えてくれたことで、私は命をいただきました。
そして今、その教えを守ったまま、この歌詞が書けました。それが翌日、歌となって完成し、送られてきました。これを聞いた時、主人と私は、声をあげて泣きました。自分の書いた歌詞がメロディに乗っているだけでも感動したのですが、娘の声が途中で一緒に歌っているのが分かったのです。
ほんの一瞬ですが、わかりました。ちなみに、コーラス部分ではありません。私たちにしか聞こえない周波数だと思います。野田さんが、娘と一緒に歌ってくださったのだと思っています。
どれだけお礼を言っても足りないくらいです。メールでは書き切れないほどの感謝です。いずれ、また逢えたときに、ちゃんと伝えますね。
でも何度でも言います。
ありがとう野田さん。これからも、ずっとずっと応援しています。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。 古川さちこ
(曲「また会えたときに」♪)
あなたが作ってくれた
フェルトの人形は
今でもカバンにつけてるよ
錆びた鈴は鳴らなくなったけど
揺れて笑ってくれている
その艶やかな髪
小さなくちびる
かた頬のえくぼ
細い目と長いまつげ
想い出は繰り返し波のように
私の中で押し寄せては引いていく
消えないで 消えないで
あなたと一緒に 見たい世界があるんだから
あなたと一緒に 感じたい喜びを
あなたと一緒に 夢を見る時間をたくさん
作れると 思っていた
あなたが作ってくれた
フェルトの人形に
今日も 話しかけてるよ
あなたは何にも
答えてくれないけど
静かに聞いてくれている
誰からも愛されて
少しわがままで
でも憎めない仕草で
全部許せてしまう
想い出は繰り返し波のように
私の中で押し寄せては引いていく
醒めないで 醒めないで
あなたと一緒に 見たい世界があるんだから
あなたと一緒に 感じたい切なさを
あなたと一緒に 思い悩む時間を
あなたと一緒に 抱きしめたかった
人形を両手で包み込み
あなたを感じながら
今日も誓います
どんなに辛くても
どんなに悲しくても
どんなに苦しくても
私は 生きます
生きて
笑顔で 生き切って
いつかまた会えた時
人形の背にある言葉を
直接言って欲しいの
「ダイスキダヨ」って
私もあなたが大好きよ
大好きよ
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
【後書き】奇跡は誰にでも起こせるってこと へ続く
▼作者・古川祥子(さっちゃん)の日記ブログ▼